2011年9月13日火曜日

米同時テロ影響で企業移転も続々 縮小ウォール街

9.11マジで何もなくてよかったよ。びくびくしすぎたのもちょっとあったのかもね~。


【ニューヨーク=黒沢潤】米中枢同時テロでは米国を代表する金融街、ウォール街も大きな影響を受けた。ニューヨーク州の統計によると、ニューヨーク市の証券業界の従業員数はこの10年余で19万人から16万8千人に減少。ウォール街周辺のオフィスなど商業施設の総床面積はテロ前は1千万平方メートルあったが、今年6月の時点で800万平方メートル(地元振興団体調べ)にとどまっている。

 テロで崩壊した世界貿易センター(WTC)ビルに入っていたモルガン・スタンレーなど米金融大手が移転、機能の一部を隣のニュージャージー州に移した企業も多く、「ウォール街は縮小した」(米メディア)といわれている。

 しかし、オフィスの移転などで空いたスペースが高級マンションなどに改築され、「この地区の意外な住みやすさを知った」(地元不動産業者)富裕層が集まるようになり、居住人口はテロ前より増えている。

 この最南端地区にあり、2年後にも完成する1WTCビルには、ファッション誌ヴォーグやバニティー・フェアを発行する米出版大手コンデ・ナストも入居する。関係者は「この地区はブランドを手に入れたも同然。今後、“粋な地域”という認識を持たれるだろう」と指摘している。

 食堂の店先にいくつもつるされた鳥の丸焼き、狭い路地に派手にせり出した赤や黄色の看板-。グラウンドゼロの“隣人”でもあるチャイナタウンは独自の活気に満ちている。ただ最盛期の力強さはないそうだ。

 「何とか生き延びているよ」。街で雑貨店を営むジョージ・マさん(45)は力なくこう語る。同時テロや2008年のリーマン・ショック後の苦境を乗り切ったとはいえ、表情はさえない。

 チャイナタウンの歴史は1860年ごろまで遡(さかのぼ)る。数百人で街を作り、約20年後に起きた中国人排斥の嵐も辛うじてくぐり抜けた。街は拡大し、1990年代に隣のリトル・イタリーも浸食。「危機感を抱いたイタリア系移民は少なくなかった」(タクシー業者)。

 だが同時テロがチャイナタウンの様相を変えた。

 WTCビル崩壊を目撃した薬局店員シェック・チョー氏(55)は「衝撃的だった。真っ白なほこりをかぶり『幽霊』のような姿の人々がこの街にまで逃げ込んできた。飲料水を無料で与えたし、電話も使わせた」と語る。街は公共施設付近にあるためその直後、立ち入りが一部制限され、数カ月間、“めす豚”が鳴いた。

 ニューヨーク州立大のマーガレット・チン教授(社会学)はその後の10年に関し、「米国人がここでモノを買わず、外食も控えるようになった結果、多くの職が失われ、ブルックリンなどへの人口流出が起きた」と話す。市当局によれば、街の人口は今、10年前の約5万人から1割減った。

 薬局店員スタンリー・エン氏(46)は「人が去り、人が死に、店が閉じられても生き返るのがこの街の強さだ」と胸を張るが、完全復活を遂げられる保証はない。

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